【第832局】賭けるということ

皆さん、こんにちは。

将棋普及棋士初段のIORIがお送りする「将棋する?」のお時間です。

それでは対局を始めさせていただきます。

 

 以前にこのブログで将棋は賭け事として楽しまれていた歴史があると書きました。

この賭けるという行為は将棋に限ったことではないのです。遊戯史では、チェスやバックギャモンなど他のゲームにも賭けるという行為は密接な関係にありました。

 

 日本では将棋に賭けることを禁止しようとした歴史があります。

江戸時代の将棋指しの大橋宗桂が賭けるというマイナスのイメージを将棋から払拭しようと試みたように、賭けるという行為は明るいものではありません。

 

 しかし、私は「賭ける」ということはマイナスの面ばかりではないと考えます。

確かに、将棋は複雑なゲームであり、将棋自体に面白さはあります。私自身も多くの思考を行ない、勝敗に結びつけるところ、未だに攻略方法が解明されていないところに面白さを感じます。

 

 しかし、そんな将棋の勝負に賭けることによって面白さは倍増され、そういった面に人々は惹かれていたのではないでしょうか。

 

 そもそも、賭けという行為は、昔から広範囲で楽しまれていたものです。

近世イギリスでは、友人同士でどちらの祖母が先に亡くなるかを賭けたり、日本でも蹴鞠にも対しても賭けが行われていたことが分かっています。

 

普及していくゲームに共通しているものは、そのゲームが熱中できるか、盛り上がるか、感動できるか、興奮できるか、といった要素があるかないかです。

賭けという行為は感性に合致し、将棋の面白さが増したのではないでしょうか。

 

現代では、マイナスのイメージがある「賭けるという行為」は、将棋を普及させる役割を担っていたという一面があるのではないかと考えます。

 

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968文字により、対局終了になります。

ありがとうございました。