【第1252局】将棋から考える

皆さん、こんにちは。

将棋普及棋士初段のIORIがお送りする「将棋する?」のお時間です。

それでは対局を始めさせていただきます。

 

以前、升田幸三先生がGHQに呼び出されたエピソードを採りあげました。

今回も、その時のGHQとの会話を升田幸三自伝から採りあげていきます。

 

ビールがまずいだの、ナポレオンというお酒は好きになれんだの、言っている升田幸三先生に、GHQは以下の質問をしました。

 

「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これを捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」

 

この質問は、升田幸三先生の想定していたことでした。

 

冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか

 

ビールを飲んだあと、続けて、

 

あなた方はしきりに民主主義を振り回すけれど、チェスなんてなんだ。王様があぶなくなると、女王を盾にしても逃げようとするじゃないか。古来から日本の武将は、落城にあたっては女や子供を間道から逃がし、しかるのちにいさぎよく切腹したもんだ。民主主義、民主主義と、バカの一つおぼえみたいに唱えるより、日本の将棋をよく勉強して、政治に活用したらどうだ

 

升田幸三先生の言葉は勢いがあり、将棋にはさまざまな日本の文化的社会的なことが表出していると感じさせられます。

こうしたことは、M.McLuhan(1964)がゲームには、その国⺠についての多くのことが表れていると指摘しているように、確かに将棋のルールや外形に日本ある種の傾向が表れているのではないかと考えています。

 

参考文献

升田幸三,2003,『名人に香車を引いた男』中央公論新社

・Marshall McLuhan,1964,Understanding Media:The Extensions of Man, McGraw-Hill.

 

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1150文字により、対局終了になります。

ありがとうございました。