【第823局】賭け将棋の禁止

皆さん、こんにちは。

将棋普及棋士初段のIORIがお送りする「将棋する?」のお時間です。

それでは対局を始めさせていただきます。

 

勝敗が決まる遊びは、昔から賭け行為がされていました。その賭け行為は、将棋にもあったことは記憶に新しくある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

「大橋家文書」の中には、「宝永元年(1704)初冬十一日、京都へ登り申し候制札の控の文書」と題した文書があります。

 

現代文にしたものを、増川宏一「将棋の駒はなぜ40枚か」(集英社)から引用します。

 

「将棋の手相のことは、免許して以来(それを受領した者が)他の人と指す時は、格式の通りに駒を落として指すことである。しかるに、貴殿においては、飛車落ち以上の差のある素人に対して、香車落ちなどの将棋(を指していたと)承り、放埒な仕方である。貴殿に申し入れたところ、自分達の間では吟味せずと言われている。今後は手相の作法が猥にならないように、誰にでも申し渡す。

 これに違背した者には、向後は門弟から除くことにする。当方はこのことを松葉氏へも申し入れておく。もし自堕落な者がある場合は、急度手相を取り上げることにする。大坂の衆中へも右のことは伝達されるようにして、松葉氏へも伝えておけ。これらの趣旨を特別に述べるために、一筆したためておく。以上。

 

初冬十一月 大橋宗桂 書判」

 

「放埒」とあることから、自分の棋力を低く伝え、不当な手相で賭け将棋をしていたことを、注意した文章だと思われます。

 

現代でも、大会などで自分の棋力を低く伝えて間違った駒落ちや低いクラスに参加する人も見かけますね。そうした人は、今だけでなく、この時からもいたようですね。

 

大橋宗桂は賭博というイメージを将棋から払拭しようとしていました。

 

内容にもあるように、「不当な手相で対局した者は門弟として認めず破門」と厳しく警告しているにも関わらず、賭け将棋をなくすことはできませんでした。

 

現代では、教育という面が前に押し出されている将棋ですが、賭博というマイナスなイメージが将棋につくことに、この頃から悩まされていた歴史的背景があったのですね。

 

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1121文字により、対局終了になります。

ありがとうございました。