【第1170局】なぜ「棋は対話なり」か?

皆さん、こんにちは。

将棋普及棋士初段のIORIがお送りする「将棋する?」のお時間です。

それでは対局を始めさせていただきます。

 

棋は対話なり

この言葉をご存知の方は多いかと思います。

将棋は、ある種のコミニュケーションツールであるといわれます。

しかし、それはどういうことでしょうか。

 

まず「話す」ことを考えていきたいと思います。

「私たちは自分が話していることをたえず自分でモニターしており、話しながら、話す内容を修正していく。」(長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村啓志「社会学 新版」、有斐閣、2019年.)というように、お互いの言葉と反応をモニターしながら会話というものは行われています。

 

では、将棋ではどうでしょうか。

「私たちは自分の指し手が相手に引き起こすであろう反応をあらかじめ自分自身のなかに呼び起こし、その反応に基づいて差し手をを修正することができる。プロであれば、何手も先まで相手の反応を自分のなかに呼び起こすことができ、それに従って指し手を決めている。」(長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村啓志「社会学 新版」、有斐閣、2019年.)

 

このような共通点から「棋は対話なり」という側面が将棋にはあるのではないでしょうか。

 

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754文字により、対局終了になります。

ありがとうございました。